ぶれない合唱は一本もの羊羹の如し

この記事は、というか、このタイトルと発想は書くべきか否か大変悩んだが、

ダメではなく、悩むくらいなら、世間様に見ていただいた方がよいという結論で書かせていただく。


昨日は台風直後、その他もろもろの事情にどうしようかと考えつつ、

Vox Goudiosaの定期演奏会に行かせてもらった。

ぶれない、密度の濃い音楽に触れて、むくむくと出てきたイメージは・・・

”一本ものの羊羹”


20代の学生の頃やっていた数えきれないバカなことの1つに、

泡立てた生クリームを絞り袋から直に飲むことと、

羊羹の一本食い、があった。

昭和50年代の生まれなのでそれほど甘いものに飢えていたわけでもないが。。


羊羹の一本食いは、あの砂糖と蜜のぼてっとした濃さとの格闘なのだ。

口中での格闘もさることながら、

銀色のフィルムをはがしながら、ほどよい量を継続的にむいていく格闘でもある。

中身が一気に出してしまったら、形が崩れてきれいに食べきれず大惨事になる。そして何となくそこから先に食べ続けようとする気持ちが折れる。。


まったく主旨と違うことを言っていると思われるだろうけど、

昨日のガウディの演奏、全体的なステージは、この一本の羊羹を食べている感覚だった。

しかも銀のフィルムなしの。

それでも最終ステージを終えたときに、「羊羹一本をきれいに、満足いくまで食べ切れた」という感覚になったのだ。


こんな文章、だれが読むんだ?自己満足の文章だろう、たぶん。

メソッドを学び、しっかり音楽を作り上げて、ステージに臨む、彼ら耕友会の各団体の演奏は、

私の感覚、頭の中の世界では、こんな感じなんだととりあえずアウトプットしたかった。


ここからはちゃんんと音楽の内容になるが、

純正調という、だいぶ堅苦しく思える土台の上で、

日本人の多くと、その他7か国くらいの歌い手の手にかかると、

中世のヨーロッパの音楽、かくあらんという響きを味わえて、

フィリピン、中国しかも客家、インドネシアの音楽が豊かに奏でられる。

いまさら書きながら気づいたけど、日本語の曲が皆無だった。。。

それでも全然違和感なく満足できるステージになるというのは、合唱という音楽ジャンルの幅の広さと感じた。いや、彼らがそのように作り上げているんだろう。


これはあのひどい台風の中にあった、1つの光明として、

ガウディのステージ後に、岩手一関で披露されるはずだった、大学生男女の合唱によって、

谷川俊太郎 詞、松下耕 曲の5つの組曲が、これまたすごい濃さで、しかも100人くらい?の人数に違わぬ迫力で演奏された。

一関での東日本音楽祭の代わりに、聞かせていただきました!という感謝の念しかない。


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